寻找少年村上春树之5–香櫨園小学校

香櫨園小学校
 村上春樹の作品には、山羊や羊がよく出てくる。最初の作品の”風の歌を聴け”では、「人のよい山羊」が、最新作の”1Q84”では、「ふかえりがいっしょに育った山羊」である。山羊や羊が、何を象徴化しているとか、彼が山羊や羊をなぜ使うのかという議論は山ほどあるが、彼の記憶に大きく焼き付けられた山羊との”非日常的”な出会いは、1957年12月24日、それまで通っていた西宮市立浜脇小学校から新設の香櫨園小学校まで山羊を先頭に村上春樹もその一人であった転校生と先生方がいっしょに行進した事実にある。その後、この山羊は小学校の校庭で飼われ、村上春樹は日常的に山羊と接することができた。このことは、香櫨園小学校50周年記念式典実行委員会のホームページに次のように書かれている。「初代竹村校長先生を先頭に山羊を一匹引き連れて浜脇小学校より分離して引っ越してきました。1、2、3回生には当時の事が記憶に残っていることでしょう。
しかし、浜脇小学校前の写真を見ると、山羊が2匹いるし、その時、この行進に参加した、阪神間キッズの知り合いの先生や生徒は山羊が2匹いたといっているので、2匹の山羊を連れて、転校したのが事実だと思われる。(風の歌を聴け)
医者の家は海の見える高台にあり、僕が日当たりの良い応接間のソファーに座ると、品の良い中年の婦人が冷たいオレンジジュースと二個のドーナツを出してくれた。僕は膝に砂糖をこぼさぬように注意してドーナツを半分食べ、オレンジジュースを飲み干した。・・・・・・・・・・・
「昔ね、あるところにとても人のよい山羊がいたんだ。」素敵な出だしだった。僕は目を閉じて人の良い山羊を想像してみた。
  
香櫨園小学校
浜脇小学校お別れ式の山羊の写真。香櫨園小学校より提供して頂きました。
転校生と一緒に行進した山羊(香櫨園小学校卒業アルバムより)
香櫨園小学校 羊・山羊
(村上春樹堂 はいほー!)
僕は山羊座のA型である。山羊座のA型である屈辱は山羊座のA型の人にしかわからない。どんな雑誌の占いコーナーを見ても羊座のA型は「ケチで、真面目で、頭が固くで、芸術には向いていない」と書いてある。朝日新聞(1982年4月5日)紙上日記から、「山羊座の宿命」
世の中に山羊座のA型くらいおとしめられた存在もちょっとないんじゃないかという気がする。どんな星占いを見ても、とことん不細工な運勢しか出ていない。「いつも通り真面目に律儀に」とか「無理をしないで地道に。急がば回れです」とか「気取っているとやけどをします」とか、もうそういうのばっかりである。たまには「何もかもわすれて恋の炎に身を焦がしなさい」とか「思い切って芸術方向に」とか書いてあってもいいじゃないかと思う。星占いページの担当者ライターは山羊座のA型も悪口を書くのを唯一の楽しみにしてやっているとしか僕には思えない。

 

A型の性格について
A型の男の特質は、一言でいうなら、「職人キャラ」。 様態はいろいろと異なっても、「形」や「型」や「様式(スタイル)」を好むのが、A型の男の特徴である。A型ならではの「型」への執着が端的に表れるのは、一つには「技」へのこだわりで、その理想型は「名人」「匠」となる。日本人(A型が約四割)や、ドイツ人の国民性に、そんな職人的な特徴は表れている。
文学者なら、たとえば文体への偏執狂的なこだわりや、対象となるものへ頑なまで執着するといった名人気質は、A型の作家ならではのものだ。(谷崎潤一郎、三島由紀夫、村上春樹……)
A型の男というのは、包容力に欠けると言われており、本人たちもそれを認めていて、しかも、後ろめたさを感じていないふしがある。「狭く、シンプルで、深い(ディープ)」が、その真骨頂。
ややもすると「オタク」にもなりがちなA型は、トータル(全体)の把握より、パーツ(部分)の研磨に長じる。ジェネラルよりスペシャル―自分の専門領域については完璧主義的傾向を持つ。
(河内厚郎)

関連リンク  「河内厚郎の見巧者列伝」(2010年1月)
香櫨園小学校 松茸うどん
 村上春樹と同世代の元阪神間少年達も、学校給食で松茸うどんを食べたことがある。当時、松茸はそれほど高価なものではなかったが、当時、東京ではめったに食べれない食材であったようだ。元阪神間少年の一人が東京にいたとき、会社の取引先の人に、贈り物として、関西から松茸を送ったら相手の人が社宅に住んでいて、このことを知った同僚の奥さんが、誰々さんは取引業者からすごい”賄賂”のようなものをもらっているという噂が流れ、相手も人に迷惑を掛けてしまったという話を聞いた。
村上春樹は、1990年『ハイファション』誌に「讃岐・超ディープうどん紀行」を書いているが、たった3日間、讃岐へ来ただけで、よくこれだけと感心するくらい、讃岐うどんの本質をついた文章を残している。
これを読んだ、上記の元阪神間少年の友人は、その翌日、車を飛ばし、瀬戸大橋を渡って、讃岐うどんを食べに行ったらしい。(夢のサーフシティー)
僕が小学生のころ、兵庫県西宮市立香櫨園小学校では秋になると、給食にときどき「まつたけうどん」がでました。もちろん本物のまつたけ(けっこう大きい)が入っていて、だしには香ばしい松茸の香りがしました。うちの奥さん(東京小石川出身)にその話をすると「嘘だよ、そんなの」と言うけど、ほんとなんです。
村上春樹と俳句
 昭和34年12月、村上春樹が小学校5年生の時、香櫨園小学校 文集創刊号が、発行され、その中に、彼の作品として、次の俳句が掲載されている。風鈴のならぬ廊下のあつさかな
風鈴のたんざく落ちて秋ふかし
夙川の土手に根をはる大いちょう

布引
滝のそば小鳥のさえずる音もなく
滝落ちて岩にぶつかる水しぶき

これらの俳句の中で「夙川の土手に根をはる大いちょう」が、西宮の情景を読んでいるものであるが、阪神間少年としては、この句に不自然さを感じるのである。それは何故かといえば、現在、夙川の土手には、大いちょうは見当たらないからである。詳しく、調べたことはないが、過去から夙川の土手に大いちょうが、あったという記憶はない。少年村上春樹が、どのような情景を見て、この俳句を読んだのか、大いに興味がある。村上春樹が小学生のころ、父親に連れられて、句会に行っていたという事実が彼の口から語られている。
(雑誌太陽「八月の庵」「僕の方丈記体験」)
小学校の頃、父親に連れられて琵琶湖の近くにある芭蕉の庵を訪れたことがある。父親はその当時学生を集めて小さな俳句のサークルのようなものをやっていて、何ヶ月かに一度は句会を兼ねた遠出をした。僕も何回か一緒に(まあ可愛気のないマスコットといった雰囲気で)つれていってもらったことがある。


大横綱が運動場で土俵入り
 香櫨園小学校が、開校した翌年の昭和33年3月5日、当時の横綱千代の山の土俵入りが校庭で行われた。小学校正門の前(西側)が大谷重工業社長宅であり、もと相撲取りだった大谷氏の好意で、大相撲大阪場所で、大阪に来ていた横綱一行が香櫨園小学校へ招かれた。
その時は、ただの運動場に、土俵と同じ大きさの円を石灰で描き、そこで大横綱が土俵入りをした。このあと、大谷氏からの寄贈で、同年5月17日本格的な櫓つきの土俵が校庭に完成した。
村上春樹もこの光景は見ていたはずであるが、今のところ、大相撲のことを書いた作品を見たことがない。
浜脇小学校
 村上春樹が香櫨園小学校へ転校するまで通っていた学校。えべっさんで有名な西宮神社は、この学校の北西、国道43号線を渡ったところにある。全国で子どもの数が減っている中で、震災以後、近辺に多くのマンションが建てられ、この小学校は年々児童数が増えている。
 


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