(2009年12月4日 毎日新聞 WELCOME TO HARUKI'S WORLD)1970年代の終わりに村上春樹氏が登場したときの静かな衝撃は、今も鮮明に記憶している。若者たちの反乱が去ったあとの「凪の風景」をあざやかに捉えて、それは新たな文学の到来を予感させた。
今や「世界のムラカミ」となった彼の古くからの愛読者には、デビュー当時の作品がたまらなく懐かしいのではなかろうか。なかでも阪神間に育った読者は、『風の歌を聴け』や『1973年のピンボール』に酒蔵やヨットハーバーが出てくることから、ムラカミ文学の原風景が何処なのか、ピンときたはずである。思い当たる場所が身近に多かったからだ。そんな一人、芦屋市の中学OBとして彼の後輩に当たる、映画監督の大森一樹氏は地元の風景をふんだんに使って『風の歌を聴け』を映画化している。
村上春樹氏が育った阪神沿線の香櫨園から打出にかけては、谷崎潤一郎の『卍』『猫と庄造と二人のをんな』、井上靖の『あした来る人』、織田作之助の『六白金星』野坂昭如の『火垂の墓』、宮本輝の『錦繍』など、多くの小説の舞台となってきた。井上靖は「主人公を登場させる際、つい香櫨園の夙川沿いの道を設定してしまう」と述懐しているが、作家たちを惹きつけるその魅力とは何だろう。
大阪・神戸という繁華な両都会にはさまれながら、ここには松林と白砂の中で静かにたたずむ日溜りがある。そんな「余白」に惹かれてやってきた建築家も少なくない。この落ち着いた住宅街で育った若者たち(村上流に言うなら「阪神間少年」)は、博覧会やテーマパークよりも、日常のうちにハレの余韻が漂うような感触を好む。生活空間にモダニズムを蓄積してきた市民風土の成せる業であろう。量より質を求める「抑制されたモダニズム」が、拡散より内面へと心の目を向かわせるようになった、そんな土地柄かもしれない。
高度成長期からこの方、いっこうに繁殖をやめぬモノの大群に取り囲まれながら、その一つ一つのモノたちと過不足なく付き合おうと努める彼の頑固さに、われわれは少しずつ説得されてきた。そして、モノと親しく語らいながら、モノにこびりついた過剰な意味を丹念に削ぎ落としてきた彼が、静かな声でモノガタリを紡ぎ始めたとき、それは近代を超える神話的な構造を提示して、世界の心を捉えたのである。
(河内厚郎) |
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