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●《村上春树の世界》国分寺を歩く 2002年5月4日 V05L01
※ 泉町の坂の下のF「ピッコロ」の场所が分かりました。泉町の坂を下って川を超えた泉町一丁目の交差点の角にあったようです。残念ながら现在は建物自体も无くなっていました。道路の拡张で建物を建てるスペーズが无くなってしまったようです。

写真の丁度中央辺り、电信柱の后ろ辺りにF「ピッコロ」が入っていた建物があったようです。道路に沿って左侧に向かうと国分寺駅方面です。(宇都宫のピーター ファン様より场所を教えて顶きました。ありがとうございました。)

 今回以降、村上春树の故郷 神戸から学生时代以后を过ごした东京に戻りたいと思います。今周は特に村上春树が初めてジャズ吃茶(ジャズ・バーと呼ぶ方が正しい?)「ピーター・キャット」を开いた国分寺を歩いてみたいと思います。

 イアン・ブルマの「日本探访」のなかで、国分寺に初めて开いたジャズ吃茶「ピーター・キャット」のことについて书かれています。「……彼らはあてどもなく自分たちの场所を作り上げようともがく。村上が阳子と一绪にジャズバーに隠栖することになったのもそれに似ている。写真家の松村映三は村上とは长い付き合いがあるが、いまだに村上の ことが分からないと言う。松村は私に、ピーターキャットは「时间が静止していた所だ」と评してくれた。そこは窓のない地下室である。昼の问は吃茶店で、夜になるとアルコールが出る。その薄暗がりの中で村上はジャズのレコードをかけ、饮み物を作り、皿を洗った。そして、アメリカの小说を読んだ。おしゃべりは阳子が受け持った。このバーであの年月を过ごさなかったら、小说家にはなれなかったろうと村上は确信している。」、私は残念ながら一度も「ピーター・キャット」を访ねたことが无いので「その薄暗がりの中の…」とかの雰囲気が分かりませんが、ジャズ吃茶は嫌というほど行っていましたので、なんとはなく その言い表せない雰囲気は分かります。ちなみにお店の名前は饲っていた猫の名前に因んでいますが、三鹰时代に买っていた猫が「ピーター」、国分寺时代は「ミューズ」です。

左上の写真が国分寺时代の「ビーター・キャット」のマッチです。宇都宫のピーター ファン様より提供して顶きました。ありがとうございました。

haruki-kokubunji11w.jpg@国分寺駅>
 国分寺は新宿からJR中央线中央特快で28分程の时间がかかります。都心からはすこし远い感じなのですが、国分寺の周りには国立の一桥大学や东京学芸大学等があり、学生の街という雰囲気があります。村上春树は国分寺で店を开いた理由を「村上朝日堂」のなかで「いつまでも居候をしているわけにもいかないので、女房の実家を出て、国分寺に引越した。どうして国分寺かというと、そこでジャズ吃茶を开こうと决心したからである。はじめは就职してもいいな、という感じでコネのあるテレビ局なんかを几つかまわったのだけど、仕事の内容があまりに马鹿马鹿しいのでやめた。そんなことやるくらいなら小さな店でもいいから自分一人できちんとした仕事をしたかった。自分の手で材料を选んで、自分の手でものを作って、自分の手でそれを客に提供できる仕事のことだ。でも结局仆にできることといえばジャズ吃茶くらいのものだった。とにかくジャズが好きだったし、ジャズに少しでもかかわる仕事をやりたかった。」と书いています。

左上の写真が国分寺駅南口です。村上春树がジャズ吃茶「ピーター・キャット」を开いていたときとは様変わりをしています。写真正面の駅ビルが新しく建ち、駅前の様子も一変しています。

和  暦

西暦

年    表

年齢

村上春树、国分寺を歩く

作  品

昭和49年 1974   25 ジャズ吃茶「ピーター・キャット」を开店  
昭和50年 1975   26 3月 早稲田大学第一文学部演剧科卒业(7年かかる)  
昭和52年 1977   28 ジャズ吃茶「ピーター・キャット」を千駄ヶ谷に移転  

haruki-kokubunji12w.jpgA国分寺书店>
 国分寺の駅から一番近くて有名なお店が国分寺书店ではなかったのかなと思います。椎名诚の「さらば国分寺书店のオババ」で书かれているので有名なのですが、残念ながらもうありません。古本屋から陶器の専门店になり、今は惣菜屋になっています。村上春树の「村上朝日堂 スメルジャコフ」のなかにも书かれています。「…もう20年以上前の话です。国分寺もずいぶん変わってしまいました。このあいだ行ったら、なにがなんだかわからなかったです。有名な「国分寺书店」もなくなっちゃってましたしね。…」 、また「村上朝日堂 梦のサーフシティー」のなかでも「…椎名诚さんの本で有名な「国分寺书店」がありました。なかなか良い古本屋さんだったのですが、今はもうありません。おばばはそんなに怖くなかったですよ。…」と书いています。椎名诚の「さらば国分寺书店のオババ」を読んでいないとよく分からないフレーズですが地元の人にはかなり有名だったのですね。「村上朝日堂の逆袭」では「买い物のついでに「国分寺书店」に寄って本を売ったり、安い古本を买ったりした。それから家にかえって简単に昼食をとり、アイロンをかけ、ざっと扫除をし(仆は扫除が苦手なのであまり丁宁にはやらない)、夕方まで縁侧に座って猫と游んだり本を読んだりしてのんびりと过ごす。なにしろ暇なものだから、仆はこの时期だけで、「讲谈社・少年少女世界名作全集」を読破したし、『细雪』なんて三回も読んだ。」、「细雪」を三回も読むなんですごい(やっぱり芦屋出身だからかな!)!。

左上の写真が「国分寺书店」の迹です。表通りから里通りまで贯通したビルで、上记にも书いていますが表通り侧は、いまでは惣菜屋になっています。


haruki-kokubunji14w.jpgBほんやら洞>
 村上春树は国分寺を「村上朝日堂 梦のサーフシティー」のホーラムの中で绍介しています。「仆が昔やっていた国分寺の店は、南口の殿ガ谷公园(当时はまだなかった)のすぐ近くにありました。一阶に旅行代理店があるビルの地下です。今どうなっているのか、仆は知りません。……近所の「グルマン」のカレーはなかなかおいしかったですよ。」…、…「国分寺というと、「ぐるまん」のカレーが好きでした。「寺珈屋」という吃茶店があって、カメラのエイゾー(梅竹下ランナーズ・クラブ副会长)もそこの常连でした。「まねき」という奇妙なお好み焼き屋があって、「ピッコロ」が泉町の坂のところにあった。なつかしいですね。」とあります。殿ガ谷公园とは正确にはC殿ケ谷戸庭园で、旧満铁総裁の别邸で、昭和4年に三菱财阀の岩崎氏の所有となり东京都が昭和49年に购入しています。「グルマン」のカレーのお店は残念ながらもうありません。同じ场所にDマンションが建ち一阶にローソンが入っていました。「寺珈屋」は「ピーター・キャット」と同じビルの一阶のお店だったようです。泉町の坂道にあった「ピッコロ」については、宇都宫のピーター ファン様より教えて顶いたのですが、泉町の坂を下ったF泉町一丁目の交差点の角にあったようです。现在は建物自体が无くなってしまっていました。「まねき」という奇妙なお好み焼き屋ついてはいろいろ调べてみましたが所在不明のままです。

右上の写真は「ピーター・キャット」のあったビルの斜め前にある「ほんやら洞」というお店です。お店の中は演剧文学などアングラ系のカフェと见えました。お店のお嬢さん?にこのお店の周りのことをいろいろ教えてもらいました、ありがとうございました(昔のことをよく知っておられました)。

haruki-kokubunji16w.jpgEピーター・キャット>
 村上春树は「村上朝日堂」のなかで「ピーター・キャット」を作った时の様子を「…资金のことを言うと、仆と女房と二人でアルバイトをして贮めた金が二百五十万、あとの二百五十万は両方の亲から借りた。昭和四十九年のことである。その当时の国分寺では五百万あればわりに良い场所で二十坪くらいの広さの、结构感じの良い店を作ることができた。五百万というのは殆ど资本のない人间でも无理すれば集められない额の金ではなかった。つまり金はないけれど就职もしたくないなという人间にも、アイデア次第でなんとか自分で商売を始めることができる时代だったのだ。国分寺の仆の店のまわりにもそういった人たちのやっている楽しい店がいっぱいあった。」と书いています。昭和50年代ですから250万円というと结构いい车(クラウン?)が买える金额だと思います。いまクラウンが500万円くらいですから、一千万円でお店が作れるかというと少し无理みたいですね。それと二人で250万円バイトで稼いだと书いていますが、こちらの方がすごいですね、一日働いて数千円のころですから、これだけ稼ぐのは大変です。

左上の写真が村上春树が开いたジャズ吃茶「ピーター・キャット」があったビルです。お店は地下でビルの右侧から地下に入る阶段がありそこからお店に入れたと思います。现在はレンタルルームになっています。

haruki-kunitachi11w.jpgI国立纪ノ国屋>
 村上春树が国分寺时代によく通ったスーパーが国立の纪ノ国屋です。「村上朝日堂 スメルジャコフ」では「仆は国分寺に住んでいたときに、よく国立の纪ノ国屋に买い物に行きましたが、……昔は国立纪ノ国屋のレジはなぜかとても美人の店员が多くて、それも売りのひとつでした。この前行ってみたら、今はなんか・・・あー、まずいなこんなこと言うと。つまり、今でもじゅうぶん绮丽な方が多かったです。」と高级スーパーに行ける余裕がある表现をしています。「村上朝日堂はいかに锻えられたか」のなかに「结婚して商売を始めたばかりのころ、仆は借金を抱えて四苦八苦していた。あるとき、翌日の午后三时までに银行にある额の金を返済しなくてはならないのに、どうしても三万円が足りないという羽目に陥った。……风もない、しんと静かな夜だった。そうしたら、家に向かう道に纸片がばらばらと何枚か落ちているのが目についた。近寄って见るとそれは一万円札だった。それもちょうど三枚あった。ついさっき、空からそこにはらはらと舞い降りてきたばかりという感じだった。あたりを见回したが、谁もいない。人通りのない真夜中である。仆らは自分の目が信じられなかった。金额までぴたりとあっている。そんなにうまい话が世の中にはあるのか? でも本当にあったんだからしょうがない。ユングならそれを「シンクロニシティー」とでも呼ぶところだが、当时はそんな立派な言叶があることすら知らなかった。その三万円を拾ったとき、夫妇で手を取り合って泣いた……」とあります。「村上朝日堂はいかに锻えられたか」を読んでいると国分寺のころは大変だったのだなと思っていたのですか、一駅离れた国立の纪ノ国屋に行ける余裕とのギャップがあります。国立の纪ノ国屋は青山にある纪ノ国屋と同じお店で、私も世田谷の纪ノ国屋にいきますがかなり高级です。少し経ってお店が顺调になりだしてからのことかなとも思いますが、どうなんでしょうか。
 
右上の写真が国立駅前の纪ノ国屋です。世田谷の纪ノ国屋ではいつもベンツやBMWに乗った方が买い物にきています。いい素材の食料品をそれなりのお値段で提供してるお店です。ついでに国立のお店を一轩绍介します。「国立「キャンディー・ポット」は、仆が国分寺で店をやっているときに常连で通っていた「吉田くん」がやっている店です。吉田くんはそのころ仆が拾ってきた野良猫までひきとってくれました。亲切な人です。また行ってあげてください。」と村上春树は书いています。国立駅近くにこのJ「キャンディー・ポット」はあります。

国分寺时代の村上春树について、わからない事があります。「ピーター・キャット」をやっていたときに住んでいた所が不明です。何处かの本に「线路近くのアパート」と书いてあったような気がするのですが、どの本に书いてあったか思い出せません(年かな)。
 


国分寺駅付近地図
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国立駅付近地図
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【お店の住所】

・キャンディー・ポット:国立市东1-15-24 国立サニービル2F 042-576-9988

【参考文献】
・风の歌を聴け:村上春树、讲谈社文库
・1973年のピンボール:村上春树、讲谈社文库
・羊をめぐる冒険(上、下):村上春树、讲谈社文库
・世界の终わりとハードボイルド・ワンダーランド(上、下):村上春树、新潮文库
・ダンス・ダンス・ダンス:村上春树、讲谈社文库
・ノルウェイの森(上、下):村上春树、讲谈社文库
・さらば国分寺书店のオババ:椎名诚、新潮文库
・村上朝日堂:村上春树、新潮文库
・村上朝日堂の逆袭:村上春树、新潮文库
・村上朝日堂はいかにして锻えられたか:村上春树、新潮文库
・村上朝日堂ジャーナル うずまき猫のみつけかた:村上春树、新潮文库
・村上朝日堂 はいほー!:村上春树、新潮文库
・辺境・近境:村上春树、新潮文库
・梦のサーフシティー(CD-ROM版):村上春树、朝日新闻
・スメルジャコフ対织田信长家臣団(CD-ROM版):村上春树、朝日新闻
・村上春树スタディーズ(01-05):栗坪良树、拓植光彦、若草书房
・イエローページ 村上春树:加藤典洋、荒地出版
・イアン・ブマルの日本探访:イアン・ブルマ(石井信平訳)、TBSブリタニカ
・村上春树の世界(东京偏1968-1997):ゼスト
・村上春树を歩く:浦澄彬、彩流社
・村上春树と日本の「记忆」:井上义夫、新潮社
・象が平原に还った日:久居つばき、新潮社
・ねじまき鸟の探し方:久居つばき、太田出版
・ノンフィクションと华丽な虚伪:久居つばき、マガジンハウス
・ユリイカ 総特集 村上春树を読む:青土社
・B级BANANA:吉本ばなな、角川文库