今周も掲载予定を変更します。読者の皆様からの要望が多い”村上春树の早稲田时代”を先に掲载したいと思います。村上春树を特集したのは昨年の4月から7月にかけての4ヶ月间で、延べ8回に分けて掲载しましたが早稲田时代はメニューには载せていたのですが不明な所が多くて未掲载のままでした。今周は村上春树の未掲载分の最后として”村上春树の早稲田时代を歩く”をおおくりします。(早稲田时代はまだ不明な部分が多いです。何方か御存じの方かいましたらご连络下さい)
<早稲田大学入学> 村上春树は神戸高校卒业后一浪します。神戸高校は旧一中で公立では兵库県でトップクラスの学校です。推测ですが、国公立大学(东大、京大?)を目指していたため一浪したのではないかとおもいます。翌年の昭和43年、もう浪人はできないため早稲田大学第一文学部演剧科に入学します。当时の上京のようすを、「象工场のハッピーエンド」では、「夕方まえに东京に着いて目白の新しい部屋に行ってみると着いているはずの荷物がどういうわけかまだ着いていなかった…。部屋はがらんとしていた。引出しがひとつしかないおそろしくシンプルな机とおそろしくシンプルな铁のベッドがあるっきりだ。…」、と书いています。自宅から寮生活への変化は、革命そのものです。また当时の状况を、「国境の南、太阳の西」では、「仆らは六〇年代后半から七〇年代前半にかけての、炽烈な学园闘争の时代を生きた世代だった。…戦后の一时期に存在した理想主义を呑み込んで贪っていくより高度な、より复雑でより洗练された资本主义の论理に対して唱えられたノオだった。…」、うむ…‥と下を向いて考えながら、「昔をおもいだすなあ~!!」、なんて云ったら马鹿にされそうです。また、「村上春树の世界」ではこの时代を、「タフでハードな时代」、と称しており、村上春树にとっては生きにくかった时代の様です。
★左上の写真は早稲田大学第二学生会馆です(大隈讲堂の横に有ります)。昭和44年9月3日、警视庁机动队は学生が占拠中の大隈讲堂と第二学生会馆を封锁解除しています(东大安田讲堂の封锁解除はこの年の1月19日でした)。现在は建て直しのために封锁されています。
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