www.cunshang.net收集整理 最终更新日:2003年8月2日


●村上春树の早稲田时代を歩く 2003年6月14日 V01L01
 今周も掲载予定を変更します。読者の皆様からの要望が多い”村上春树の早稲田时代”を先に掲载したいと思います。村上春树を特集したのは昨年の4月から7月にかけての4ヶ月间で、延べ8回に分けて掲载しましたが早稲田时代はメニューには载せていたのですが不明な所が多くて未掲载のままでした。今周は村上春树の未掲载分の最后として”村上春树の早稲田时代を歩く”をおおくりします。(早稲田时代はまだ不明な部分が多いです。何方か御存じの方かいましたらご连络下さい)

<早稲田大学入学>
 村上春树は神戸高校卒业后一浪します。神戸高校は旧一中で公立では兵库県でトップクラスの学校です。推测ですが、国公立大学(东大、京大?)を目指していたため一浪したのではないかとおもいます。翌年の昭和43年、もう浪人はできないため早稲田大学第一文学部演剧科に入学します。当时の上京のようすを、「象工场のハッピーエンド」では、「夕方まえに东京に着いて目白の新しい部屋に行ってみると着いているはずの荷物がどういうわけかまだ着いていなかった…。部屋はがらんとしていた。引出しがひとつしかないおそろしくシンプルな机とおそろしくシンプルな铁のベッドがあるっきりだ。…」、と书いています。自宅から寮生活への変化は、革命そのものです。また当时の状况を、「国境の南、太阳の西」では、「仆らは六〇年代后半から七〇年代前半にかけての、炽烈な学园闘争の时代を生きた世代だった。…戦后の一时期に存在した理想主义を呑み込んで贪っていくより高度な、より复雑でより洗练された资本主义の论理に対して唱えられたノオだった。…」、うむ…‥と下を向いて考えながら、「昔をおもいだすなあ~!!」、なんて云ったら马鹿にされそうです。また、「村上春树の世界」ではこの时代を、「タフでハードな时代」、と称しており、村上春树にとっては生きにくかった时代の様です。

左上の写真は早稲田大学第二学生会馆です(大隈讲堂の横に有ります)。昭和44年9月3日、警视庁机动队は学生が占拠中の大隈讲堂と第二学生会馆を封锁解除しています(东大安田讲堂の封锁解除はこの年の1月19日でした)。现在は建て直しのために封锁されています。

村上春树の早稲田时代年表

和 暦

西暦

年  表

年齢

村上春树の足迹

昭和43年 1968 川端康成ノーベル赏受赏 19 4月 一浪して早稲田大学第一文学部演剧科入学、和敬塾に下宿
秋、西武新宿线の都立家政のアパートに転居
昭和44年 1969 东大安田讲堂封锁解除 20 春、三鹰のアパートに転居
昭和45年 1970 三岛由纪夫割腹自杀、よど号事件 21  
昭和46年 1971 ニクソンショック 22 阳子夫人と学生结婚、文京区千石の夫人の実家に転居
川端康成自杀  
昭和49年 1974 长岛茂雄引退 25 ジャズ吃茶「ビーター・キャット」を国分寺に开店
昭和50年 1975 サイゴン陥落 26 3月 早稲田大学卒业

<和敬塾>
 村上春树は一浪后早稲田大学第一文学部演剧科に入学します。「引越しグラフィティ」で当时のことを书いています。「仆が大学に入ったのは一九六八年で、とりあえず目白にある学生寮に入った。この寮は椿山荘の邻りに今でもあるから、目白通りを通った时はちらっと见ておいて下さい。仆はここに半年住んでいたが、その年の秋に素行不良で放り出された。……生まれてこの方一人で暮したのははじめてだったから毎日の生活はとても楽しかった。だいたい夜になると目白の坂を下って早稲田の界隈で饮んだくれる。で、饮むと必ず酔いつぶれる。その顷は酔いつぶれずに饮むなんていう器用なことはできなかった。酔っ払うと谁かがタンカを作って寮まではこんでくれた。タンカを作るには実に便利な时代だった。というのはそこらじゆうにタテカンがあふれていたからである。「日帝粉砕」とか「原潜寄港絶対阻止」なんていう广告牌を适当に选んでむしりとってきて、そこに酔っ払いを载せて运ぶのである。これはなかなか楽しかった。でも一度だけ目白の坂でタテカンが割れて、石段でいやというほど头を打ったことがあるハおかげで二、三日头が痛んだ。」、和敬塾に关しては「ノルウエーの森」や村上春树に关しての本、雑志等にまず最初に书かれいますので、皆様よく御存じだと思います。上记に书かれている目白の坂とは胸突坂で、早稲田から神田川を超えて和敬塾に帰る路です。

左上の写真が和敬塾の西寮です。右から西寮と书かれています。「ノルウエーの森」では东寮なんですか、当时は北寮、南寮、西寮しかありませんでした。村上春树はこの西寮の4阶に住みます。和敬塾の正面入口は目白通り侧です。

<村上春树 早稲田周辺地図>



<都立家政付近(特定できず)>
 和敬塾が肌に逢わなかった村上春树は西武新宿线都立家政駅近くに引っ越します。「目白の寮を追い出されてから练马の下宿に移った。早稲田の学生课でみつけたいちばん安い部屋である。三畳で四千五百円、敷金・礼金なし、これはもう絶対に安い。敷金・礼金なしなんて他にない。下宿は西武新宿线の都立家政の駅から歩いて十五分くらいの距离にあった。まわりは絵に描いたみたいな大根畑である。东京にもこういうところがあるんだなとつくづく感心した。……女の子とうまくいかなかったりしたこともあって、练马时代は仆にとってはちょっと暗めの时代だった。ほとんど学校にも行かずに、新宿でオールナイトのアルバイトをして、そのあいまに歌舞伎町のジャズ吃茶に入りびたっていた。ジャズ吃茶といえば「ヴィレジ・ゲート」とか「ヴィレジ・ヴアンガード」なんかが暗っぽくて好きだった。女の子と行く时は「ダグ」とか「オールド・ブラインド・キャット」なんかがよかった。……ここには一九六八年の秋から翌年の春まで住んだ。」,新宿のダグは写真が有りますので见て下さい。新宿については别途特集したいとおもいますので期待して下さい。

右の写真は西武新宿线都立家政駅です。踏切を渡って写真の正面の方に歩いていくと练马区方面です。都立家政駅自体は中野区で少し歩くと练马区になります。上记に书かれている通り、駅から徒歩15分で练马区ならすぐ场所が分かるかと思ったのですが、下の地図で赤线が徒歩15分の所で、幅を见て青から緑の间と仮定しましたが、このなかに昭和43年当时アパートが6~7轩もありました。上记に书かれている状况だけでは特定できませんでした。赤くマークされた所が可能性がある所です。

<村上春树 都立家政周辺地図>



<三鹰のアパート(特定できず)>
 都立家政の次に引っ越したのが三鹰の駅から远いアパートでした。「都立家政の暗い三畳间で半年暮して、生きているのがつくづく嫌になってきたのでまた引越すことにした。一九六九年の春のことである。…今度の住居は三鹰のアパートである。ごみごみとしたところにはもううんざりしたので、郊外に移ることにしたのだ。六畳台所つきで七千五百円(安いなあ)、二阶角部屋でまわりは全部原っぱらだから実に日あたりが良い。駅まで远いことが难といえば难だけど、なにしろ空気はきれいだし、少し足をのばせば武蔵野の雑木林がまだ自然のままに残っているし、すごくハッピーだった。……あとそのころの记忆というと、ブラジャーが空を飞んでたっていうくらいしか覚えてない。ブラジャーは本当に空を飞ぶのか? もちろん飞ばない。风に吹かれて空を漂っていただけである。…実际には毎日女の子とデートしたり映画観たりして结构たらたらと生きていたみたいだ。」、と女の子とデイトしているなどと简単に书いています。ただなぜ三鹰に引っ越したかとなるとすこし思い当たる点があります。浦澄彬の「村上春树を歩く」の中に「…どうやら高校时代のガールフレンドが、后の村上作品に大きな影响を与えたらしいのである。新闻委员会の同期に、村上春树と仲の良かった女の子がいた。その女の子が、初期三部作の自杀したガールフレンドや、『ノルウェイの森』の「直子」のモデルではないかと言われているのである。その女の子、Kさんは、村上春树と仲がよく、二人はつきあっているのではないかと噂されていたらしい。二人そろって暗いイメージのカップルだったという。Kさんは神戸高校を卒业后、そのまま国际基督教大学(ICU)に进学した。…」、あります。村上春树の「羊をめぐる冒険」では书き出しにICUが登场します。「その年の秋から翌年の春にかけて、周に一度、火曜日の夜に彼女は三鹰のはずれにある仆のアパートを访れるようになった。彼女は仆の作る简単な夕食を食べ、灰皿をいっぱいにし、FENのロック番组を大音量で聴きながらセックスをした。水曜の朝に目覚めると雑木林を散歩しながらICUのキャンパスまで歩き、食堂に寄って昼食を食べた。そして午后にはラウンジで薄いコーヒーを饮み、天気が良ければキャンパスの芝生に寝転んで空を见上げた。水曜日のビクニック、と彼女は呼んだ。…」、と书かれています。神戸高校で一绪だったKさんは村上春树よりも一年早くICUに入学しています。(村上春树は一浪しています)、「ノルウェイの森」の中では「…仆と直子は中央线の电车の中で偶然に出会った…」と书かれており、以上を総合すると本当に二年ぶりで村上春树はKさんに偶然出会い、そのまま三鹰での付き合いか始まったのだと推定しています。ICUでのKさんの足迹を辿れば详细がわかると思うのですが… …!!(何方か御存じの方おりませんか)

左上の写真はICUの桜并木です。少し时期が遅くて叶桜になっていました。村上春树が住んでいたアパートですが、上记の状况をまとめてみると、1.三鹰の駅から远い(30分位挂かる?)、2.三鹰市のはずれ、3.ICUの近く(歩いていける)、4.アパートの周りは原っぱ、となります。三鹰駅から三鹰図书馆まで2Kmで约30分です。下记の地図の赤くマークされた所が可能性の有るアパートです。まだ特定できていません。

<村上春树 三鹰周辺地図>



<文京区千石>
 村上春树は昭和46年、阳子さんと学生结婚します。「三鹰のアパートで二年暮してから、文京区の千石というところに越した。小石川植物园の近くである。どうして郊外からまた一気に都心に戻ってきたかというと、结婚したからである。仆は二十二でまだ学生だったから女房の実家に居候させてもらうことにしたのだ。」、奥様の実家の千石の家は布団屋だったようです。「仆が居候していた女房の実家は、昔の徳川家の屋敷の一画に建っている。一画と言っても庭のずっと隅の方だから、べつに由绪も何もない。ただ困ったことにはというか何というか ー この家は実にかつての地下牢の上に建っているのである。つまり家の下には、その迹があるわけだ。で、もちろん幽霊が出る。仆ははじめのうちはそういうことを知らなくて、なんだかいやに湿っぽくて暗いなあ、というくらいにしか感じなかった。夜中に便所に行ったりすると妙に気持悪い雰囲気があったりした。女房が时々幽霊を见た。幽霊といっても人の形をとったものではなく、白いかたまりのようなもので、それが家の中をしばらくふわふわと飞びまわってから壁に吸い込まれていくのである。」、场所が场所だけにいろいろ出てきますね。それにしても阳子さんとの结婚に关しては详细がよくわかりません。以前にも书きましたが、友人や奥様が书いたものが出版されないと分からないままだとおもいます。(ご本人が存命中は无理かもしれません)

右の写真が千石の阳子さんの実家付近の写真です。ご家族が住んでおられるようなので、住所や地図は控えさせてい顶きます。

都立家政と三鹰については住所がまだ特定できていません。特定出来しだい改版していく予定です。(御存じの方がいらっしゃいましたらご教授愿います)


【参考文献】
・风の歌を聴け:村上春树、讲谈社文库
・1973年のピンボール:村上春树、讲谈社文库
・羊をめぐる冒険(上、下):村上春树、讲谈社文库
・世界の终わりとハードボイルド・ワンダーランド(上、下):村上春树、新潮文库
・ダンス・ダンス・ダンス:村上春树、讲谈社文库
・ノルウェイの森(上、下):村上春树、讲谈社文库
・さらば国分寺书店のオババ:椎名诚、新潮文库
・村上朝日堂:村上春树、新潮文库
・村上朝日堂の逆袭:村上春树、新潮文库
・村上朝日堂はいかにして锻えられたか:村上春树、新潮文库
・村上朝日堂ジャーナル うずまき猫のみつけかた:村上春树、新潮文库
・村上朝日堂 はいほー!:村上春树、新潮文库
・辺境・近境:村上春树、新潮文库
・梦のサーフシティー(CD-ROM版):村上春树、朝日新闻
・スメルジャコフ対织田信长家臣団(CD-ROM版):村上春树、朝日新闻
・村上春树スタディーズ(01-05):栗坪良树、拓植光彦、若草书房
・イエローページ 村上春树:加藤典洋、荒地出版
・イアン・ブマルの日本探访:イアン・ブルマ(石井信平訳)、TBSブリタニカ
・村上春树の世界(东京偏1968-1997):ゼスト
・村上春树を歩く:浦澄彬、彩流社
・村上春树と日本の「记忆」:井上义夫、新潮社
・象が平原に还った日:久居つばき、新潮社
・ねじまき鸟の探し方:久居つばき、太田出版
・ノンフィクションと华丽な虚伪:久居つばき、マガジンハウス
・仆たちの好きな村上春树:宝岛别册
・村上春树の読み方:久居つばき、くわ正人、雷韵出版
・鼠の心:高桥丁未子、北宋社